挨拶
あ、どうも。瀬嵜です。と、奇をてらい普通の挨拶をしてみたの巻。改めてナイストゥミーチュー。
気づいたら令和元年終ろうとしている。令和になったばかりなのにもう元年が終わりそうだ。今年は頑張った!と胸を張って言えるように一年にしないとね。最近思うのは、「今日1日で何をするか」という命題を決めて生きると日々にメリハリがつくということですね。基本だらだらしているので、やるべきことを明確にしないと無為に過ごしてしまう傾向にあります。
今日は「Rx30問やるまで遊ばないぞ!」とかね。という風に日々にメリハリをつけていくのがいいんじゃないか、と我思う故に我元来怠惰なり。帰納法だ。
本題
質問内容
では、本題へ。とても悩ましい質問をいただいた。まずは質問を見て頂きたい。
同期の医学部生に、身分を明かしていないSNSアカウントで悪口を書かれていました。(投稿内容から人違いという事はありません。)学業において私の事を見下すような記述でした。これからも特に知らないふりで過ごすと決めていますが、やりきれない気持ちへの対処法をご教授頂きたいです。
返答
全ての悩みは対人関係の悩み
むう。これはいかんな。とても大切でとても難しい問題である。ある師は言った「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と。まさにそうだ。
我々は何かに所属して生きている。無所属で生きることなど不可能だ。大学、職場、家族、友人など様々なカテゴリーがあり、知らず知らずのうちにそれらに帰属しているのだ。その中では対人関係の悩みが尽きることはない。僕なんか特に「外れ値」だから、集団の中で生きるのは大変だ。色々な場面でしょっちゅう軋轢が生じる。
USMLE勢は少数派
USMLE勢も現状ではまだ「少数派」に属している。悲しくも「ジャンヌダルクにぶたれる」じゃなくて「出る杭は打たれる」風潮が残存し続ける日本では、その「少数戦闘民族(君たちは誇り高き民族だ)」は「打たれやすい」。
「USMLEなんかやって意味あるの?」
「国家試験大丈夫?」
「お前が?クソワロタ」
などなど、有難い言葉を頂戴することがある。我々は個として生きているが、常に他人と「相対的に」生きている。完全に独立することがなどできない。USMLEに関して言えば、「USMLEをやるもの」がいれば、「USMLEをやらないもの」が生じる。
だから、一見独立して見える因子も実は全て「対人関係」と関係しているのだ。例えば、「自己研鑽」のように自分を磨く行為であっても、全て他者の影響を受けている。ダイエットだって、世の中に自分一人しかいなかったら「太い」という概念すら存在しない。人間とは「人と人の間に」生きる「社会的存在」なのである。
ちょっと話が込み入りすぎた。とにかくだ。自分の意志でUSMLE(USMLEに限らず他人と違うこと全般)をやっていたとしても周囲が「あーだ」「こーだ」「よーだ」「ヴェーダ」と言うのである。全くもって大きなお世話だが。
何故、出る杭は打たれるのか
何故、人は出る杭をうつのだろうか。個人的な考えだが、それは人間が相対的な生き物であるが故に「妬み」や「嫉み」が生じているからだろう。他人が成功したり、何か挑戦して成功し得ることで、自分の価値が「相対的に」低くく感じてしまう恐れがある。それを(多くの場合は無意識的に)阻止するために、他人の成功を批判するのだ。
当然だが、日本で医師をするためにUSMLEに合格する必要性はない。では、万が一、日本でUSMLEの大ムーブが起きて1学年100人の内50人が合格するようになったらどうだろうか。USMLEなど勉強する必要など無いはずなのに、合格していないと人によっては劣等感を感じるようになる。すると、「USMLEなんか勉強して意味あるの?」のような言葉が口から吐き出される。そのような人は「他人軸」で生きている。「他人がどう思うか」が行動基準になっているのだ。
妬みや嫉みによる他者への攻撃は、他人を相対的に低くすることで自分を高く保とうとする自己防衛のようなもので、まさに他人軸で生きる者の劣等感より生じている。どれほど自己を高く保とうとしても、上には上がいるので空虚な気持ちが完全に満たされることはない。つまり、他人軸ではいつまでも幸せになれないのだ。
では、どうしたらいいのだろうか。他人軸の反対である自分軸で生きるしかない。このような議論は巷でもよく見かけるものかもしれないが、僕の経験上、他人軸で生きてきた者がスイッチを切り換えるように突如自分軸で生きるようにはならないと思っている。何を隠そう、僕こそが「他人軸で生きる人間」であり、「他人軸に愛された他人軸の権化」なのである。だからこそ、自分軸で生きようと努力してきたのだ。
他人軸から自分軸に徐々に移行していくためには、やはり自分の信念を貫いた生き方をするしかない。他者評価を気にしそうになる自分に鞭を打っては我に返り、また少しずつ進むしかない。自分が自分の軸で生きようとも、他者は他人軸で生きているため必ず横やりが入る。これは辛い、確かに辛い。でも、そんなもんは無視だ。自分のために無視をすると心に決めるのだ。
まだ他者と大きな違いが無い有象無象の世界では、そもそも自分の軸を確認することすら難しいかもしれない。林の中にいては自己の立ち位置を客観的にみることは難しい。しかし、自分の「根」に水をやり続けてほしい。牛歩かもしれないし、蛇の足かもしれないが、必ずや少しずつ「幹」が太くなり、高く成長し、「枝葉」を付けるようになる。もっともっと、高くなろう。すると「うぞーくん」も「むぞーくん」もその先端を覗き見ることができなくなる。(ドラクエの世界と言えば世界樹だ。え、わかんない?)これが「出すぎた杭」になった状態だ。
それでも風は吹くし、雨にも打たれることがある。しかし、自然災害を避けることはできない。ただただ、自分が強くならねばならぬ。こう表現すると、ひたすら艱難辛苦に耐える苦行のように思えるかもしれない。だが、ここで希望があることも伝えないといけない。その軸が伸び続けていくと、自然と「自分軸」で生きている人たちに多く出会えるようになる。それが縁故というものだ。賛同してくれる人も多いと思うが、自分が成長すると付き合う人間のタイプも変わっていく。最近の僕の周りは本当に「変人」だらけだ。(ちなみに僕にとって「変人」は最上級の誉め言葉だ)ものの見事に自由に生きている人ばかりである。そんな人達は出会うと必ずピンとくる。「こやつもしや・・・」と、懐に隠したスカウターをひそかに取り出し、相手の「気」を量るのだ。
ということで、かなり熱を入れた回答になった。何故ここまで丁寧に回答をしたかということだが、それは「僕が同様の経験を多くしているから」に他ならない。打たれすぎてサービス期間中のサーティワンのアイスみたいなタンコブが出来ている。そして、僕はおせっかいなのだ。
要点まとめ
要点をまとめよう。
質問者へのメッセージ:他人から悪口を言われるのは確かに辛い。しかし、それは君が「出る杭になりつつある証拠」でもある。今は耐える時期かもしれないが、きっと突き抜ける瞬間が来る。その時を信じて「自分の軸で」指針を決めよう。他人の努力をお互いに評価しあえる世界を目指すのじゃ。
亀キングより
これって自分へのメッセージもあるんですよね。他人を気にする自分に喝を入れるためにね。
みんなー、人と違うことをするって大変だよなー
でも、自分のしたいことをするって楽しいよなー
こんな人たちが集まり杯を交わす時が来るのを楽しみにしてます。しーや。
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