HI!ナイストゥミ―チューDr.Sezakingです。ゲンキング的な。
高校時代はカブレラと呼ばれていました。理由はソフトボール大会でホームラン打っただけのこと。というか、今でも高校時代の友人には「カブ」と言われ続けています(笑)。昔だったらバースとかパウエルとかって呼ばれてたんですかね。え、わからないって?いいんです。
センター試験の結果はここから!
センター国語失敗、そして
さて国語で史上稀に見る失敗をおかした瀬嵜君は果てしてどうなるのでしょうか。
偏差値70程度と書きましたが今振り返るとその頃の勉強方法ですら非常に未熟なものだったと思います。今ならもっとできたことがたくさんある。まずは自分の苦手分野をはっきり意識できていなかったため、そこを効率的に対策することができなかった。情報を一つに集約するということができなかったため、どこに何が書いてあるかわからず折角学んだ知識が零れ落ちてしまうことが多かった、等です。
つまり、旧帝大医学部に合格できそうな(できるとはいってない)実力のある学生ですら非常に未熟な勉強をしているということです。本当に効率よく、合目的な勉強をしている学生は理Ⅲとか京大、慶応くらいしかいないような気がします。このあたりの話はまた別の記事で書きます。
私立併願
2浪目は背水の陣であるため確実にどこかの医学部に合格するために私立も併願して受験していきました。結果が以下。
愛知医大:合格
昭和:合格
東京医大:合格
順天堂:2次落ち
慈恵:落ち
慶応:落ち
日本医大:合格
杏林:合格
大阪医大:不合格
もう一つあった気がしたけど忘れました。結果は5勝4敗。正直模試の成績からしたら全然だめだめなものでした。本番に弱かったのか。
本命の国立
しかし本命は国立です。直前までひたすら出願大学について悩みましたが、当時の各大学の受験科目は以下でした。
奈良:数学、理科、英語
岐阜:同上
三重:同上
浜松:同上
山形:数学、理科のみ←!!!!?????
もうこれは神様が山形にいけと言っているに等しいのではないかと。2浪目になっても結局英語は相対的に苦手であり、他の科目よりも偏差値が10以上低いことが殆どでした。
国語で大失敗したため傾斜配点で200点が100点になる大学を選択せざるを得なくなり、そしてその中で唯一英語をうけなくてもいいのが山形大学。
どう考えても合格率が高いのは山形だったんです。でも山形なんて行ったこともない場所。
「日本で一番大きい県は?」「岩手!」という東北=広いという認識でしかなかった東北地方。
まじで駅の周辺は田んぼが広がっていると信じていました。いや、誤解しないでほしいけど僕は山形大好きですよ(笑)。
山形大学受験を決意
「田んぼに行くのか。。しかし背に腹は代えられん」と山形大学受験を決意。山形新幹線に乗り、初めて米沢を通過した時に、米沢駅が(大げさではなく)雪で埋もれている様子をみてとんでもないところに来てしまったと感じました。(山形大学受験あるある)
しかし山形駅に到着すると雪はそれほど多くなく、何と駅内にガストがあることに感動。いまやスタバすら入っているのです。
受験本番では理科が信じられないほど簡単で、数学がやたら難しい。後日談では数学は東大の過去問の使いまわしだったという噂も。出来は理科完璧で、数学も4問中3完1半であったためこれは合格すると確信。
しかし試験の出来だけではなく、何故か直感的に山形に来るような気がしたんです。受験日の夜山形駅に行ったとき、「ここにくることになるな」そんな気がしました。
国語で失敗し、英語が苦手だから選択した「山形大学」。
そんな山形大学である教授に出会い人生が大きく変動し、USMLEで出会うことになろうとは誰が予想したでしょうか。
望んで選んだわけではない大学であっても、自分が選んだ大学が最高の大学だと思うんです。むしろそう思うしかない。
そんな僕の山形大学生活がついに始まろうとしているのです。
いよいよ医学英語との出会いが始まります。気になる方は次の記事へ。
その⑫:入学してみたら実は・・・
おまけ
山形に来たことありますか?観光地としても有名ですが、中には知る人ぞ知るパワースポットがあります。それは「ついてる鳥居」。鳥居に抱きついてお願いごとをすると願いが叶うのです。一つの柱は恋愛用、もう一つはお金用。二つ同時はルール違反。
僕がどっちに抱きついたかって?あ、眠くなってきた。ぐぅ。
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